【約束のメリーゴーランド】
その発端は、本当に些細なある日の出来事であった……
夏休みもあと僅かになった、ある金曜日の夜……
「あら、あなた お帰りなさい」 ユイはコンロの上のフライパンの動きを止めて、居間
に入って来た夫、ゲンドウの姿を認めて声をかけた。
「お父さん おかえりなさい」 満8歳になる碇夫妻の息子 シンジが食卓にあるテレビ
にかじりついていたが、父が帰宅するとすぐテレビを消して立ち上がった。 その目は期
待に輝いており、父がネクタイを緩めて背広を椅子にかける様子を見詰めていた。
「ユイ……明日の朝イチで、伊丹に出張だ 荷物を用意しておいてくれないか」
ゲンドウは椅子に座り、首元のワイシャツのボタンを一個外しながら用件を切り出した。
「こんな時期に出張なんて珍しいですわね 日帰りですの?」 ユイはフライパンの中の
焼飯を皿に盛り分けながら問いかけた。
「いや二泊分必要だ……伊丹の工場のラインに支障が出てね……その応援だ」 ゲンドウ
は一瞬眉をひそめて後は無表情を装っていた。 「あなた……明後日は」 ユイはシンジ
の前に焼飯が丸く盛られた皿を置きながら言い淀んだ。
「お父さん! あさっては遊園地に連れてってくれる約束でしょ!」 シンジの言葉がユ
イの言葉を引継ぎ、無表情を装っているゲンドウにぶつけられた。
「シンジ……お父さんも約束を破りたくて破ったんじゃ無い事は解ってあげてね」
だが、そのユイの言葉も今のシンジにとっては火に油を注ぐようなものであった。
「僕、アスカちゃんと約束したんだよっ 最後に一緒に遊園地に行こうって……」
シンジは椅子から立ち上がりながら父親に憎悪の念と共に言葉を叩きつけた。
「シンジ 待ちなさい」 ユイが慌ててシンジを宥めようとしたが、時すでに遅くシンジ
は二階にある自分の部屋に駆け上がっていた。
「アスカちゃんと言うのは、惣流さん家の子供なんですけどね……ちょっと複雑な事情が
あるみたいなの……」 ユイは夫 ゲンドウに事の次第を説明し始めた。
「お父さんの……お父さんの嘘つき……絶対だよって言ったのに……」 シンジはベッ
ドの上で天井を見ながら涙を堪えていた。
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「え? アスカちゃん お引っ越しするの?」 シンジは積み上げていたブロックを手
にしたまま凍りついたかのように動きを止めた。
「うん……今のおうちはパパのおうちだから、ママと出て行かなきゃいけないの……」
普段は勝ち気で男勝りな惣流アスカも、さすがに暗い表情をしていた。
「どこにお引っ越しするの?もうアスカちゃんと会えなくなるの?」 シンジはアスカの
方に向き直って言った。 「……」 アスカは何も答えず、右手を握り締めていた。
「とおくに行くんだね……アスカちゃん」 シンジの問いにアスカは首を縦に振った。
「いつ……お引っ越しするの?」 シンジは身体を震わせながらアスカに問いかけた。
「夏休みが終わったら……向うの学校に通うって言ってたから……夏休みの終わり頃だと
思う……」 アスカは下を向いたまま答えた。
「アスカちゃんがいなくなったら……寂しくなるね……また苛められるようになるのかな」
「バカ! そんな事言ったら、シンジと離れるのが辛くなっちゃうじゃ無い……」 アスカ
はシンジの頭を手でくしゃくしゃにしながら呟いた。 「ごめん……」 シンジは涙をぼろ
ぼろ流しながらアスカにされるがままになっていた。
「ねぇ……前シンジが風邪を引いて行けなかった遊園地があったよね……」
「うん お父さんとお母さんがいなかったけど、アスカがいてくれたから恐く無かったよ」
「お別れする前に……最後にあの遊園地に行かない?」 アスカはシンジの頭から手を離し
て、シンジの顔を覗きこみながら言った。 「うん!お父さんに頼んでみるよ」 シンジは
眼を輝かせながらアスカに小指を差し伸べた。 「シンジを信じてるから……」 アスカは
シンジが差し出した手を両手で包み込んで言った。
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シンジは5日前の事を思い出して涙ぐんでしまい、ティッシュで顔を拭いていた。
「アスカちゃん……どうしよう……」 アスカとの約束を思い出すと、シンジは涙が止まら
なくなり、鼻水まで出しながら泣き伏せっている内にシンジは寝入ってしまっていた。
シンジが目を覚ました頃には周りが闇に閉ざされていて、頭もとにはくしゃくしゃになった
ティッシュがそのまま並んでいたので、シンジは起き上がってごみ箱に放り込んだ。
「お腹……空いたな……」 シンジは今にも泣き出しそうなお腹の虫を押え込むかのように
両手で腹を押さえた。 「おしっこして来ようかな……」 シンジはのそのそと立ち上り、
部屋のドアを開けた。 「あっ……」 シンジの部屋の前にはラップに包まれて盛り上がっ
ているお皿と皿の脇にスプーンが置かれてていた。 中をはぐると温めなおしたのか少し湯
気の出ている焼飯が出て来た。 シンジはトイレに行く事も忘れて、ベッドの上に腰かけて
スプーンで焼飯をかきこんでいった。
「ご馳走様……」 シンジは誰に言うでも無く呟くと、皿を学習机の上に置いた。
その時、シンジは学習机の上のあるものに気づき見入っていた。
二日後 出張が無ければゲンドウがシンジとアスカを連れて遊園地に行く筈だった日曜日
ユイは広いダブルベッドで、久しぶりに一人で目を覚ました。
「そういえば今日は……あれからシンジは何も言わなかったけど……ちょっと可哀想だった
わね……」 ユイは身体を起こしながら二階のシンジの部屋のある方角を見て呟いた。
ユイは毎週日曜日の昼過ぎに近所の文化センターで生け花を教えている為、夫のかわりにシ
ンジを連れて行く事が出来なかったのだが、昨日は殆ど蒼白な顔で何もしゃべらなかったシ
ンジの事を思うと、胸が締めつけられるかのようだった。
昼になり、ユイはシンジに昼食を食べさせてから、居間で頭を抱えて悩んでいた。
「後で後悔するよりは……いいかもね……」 ユイは立ち上がって電話の子機のあるキッチ
ンに歩いて行き、記憶を頼りに電話番号を打ち込んでいった。
数度のダイヤル音の後に、ようやく受話器を取る音が響いた。
「あ、先生ですか ユイです ご無沙汰しております。 実はですね 息子が熱を出してし
まいまして、午後からの生け花教室に今日は行けそうも無いんです。 急な事でしたので、
お休みの連絡も出来なくて ええ すみません 今日だけお願い出来ないでしょうか……」
用件を伝えたユイは胸を高鳴らせながら返事を待っていた。
「あ、さようですか ありがとうございます 師匠筋の先生にこんなお願いをするなんて、
心苦しかったんですが、助かりました ええ鍵はセンターの窓口です 私からも連絡してお
きますから それでは失礼致します」 ユイは電話を切ってからも胸の動悸が収まらないの
か、胸に手をあてて深呼吸をしていた。 深呼吸を終えてから、文化センターに電話で事情
を告げ、電話を切るやいなや、ユイは二階への階段を駆け上がっていた。
「シンジ!遊園地に連れていってあげるから」 ユイはシンジのドアを開けながら叫んだ。
「いない……さっきまでいたのに……トイレかしら……あっ」 ユイの眼は机の上で粉々に
なっているイワトビペンギンの貯金箱に釘づけになった。
「まさか あの子!」 ユイは手に電話の子機を持っていたのを思い出し、惣流家への短縮
ダイヤルのボタンを押した。 だが、いくら待っても電話には誰も出なかった。
「そうよね……アスカちゃんの方で連れてってくれる人がいるなら、シンジもあんな事しな
いわよね……」 ユイは電話を切った時、あのペンギンの貯金箱を買ったのは一年前の誕生
日で、まだあまり溜まって無い事を思い出した。
「どこの遊園地に行ったのかしら……」 ユイは必死に何かを思い出そうとしていた。
その頃……
「ねぇ シンジ……そんな事して、本当に大丈夫なの?」 アスカは自分の手をぐいぐい
引いて、駅に向かっているシンジに声をかけた。 「いいんだよ……約束を守らない大人
なんて……」 シンジは立ち止まり、アスカの方を向いて言った。
「後で怒られたら僕に無理やり連れ出されたって言えばいいから……」 シンジは再び歩き
始めた。 「そんな……シンジだけを悪者に出来ないよ……一緒に謝ろっ」 アスカはシン
ジの手を握り締めながら答えた。
「そうだ! 私達が留守だった時に遠足で遊園地に行けなかった事があったような……
あの遊園地は駅で6つぐらい向うだったかしら……子供たちだけで行けない事も無いけど
……お金が足りなかったら可哀想だし……」
ユイは子供の後を追う事を決意して、出かける準備を始めた。
「13時12分のに乗れば行けるんですね ありがとうございました」 シンジは駅員に
遊園地の名前を告げて、乗る電車と料金を聞いていた。 「どの切符を買えばいいの?」
シンジが駅員から離れると、アスカが近寄って来て問いかけた。
「480円の切符だけど、子供だから240円のでいいんだって」 シンジはアスカを連
れて、券売機に向かった。 シンジは以前ユイと一緒に電車に乗った時、券売機のボタン
を押させて貰ったのを思い出し、お金を入れて二人分を選んで子供240円のボタンを押
した。 二人分の切符が排出され、シンジは一枚をアスカに手渡した。
「帰りも二人で480円いるから、使わないようにしないといけないね 500円玉があ
るから、帰りの分は私が買うからね」 アスカは財布の中を確認して言った。
「あっ電車が来たみたい」 「13時12分 合ってるみたいね 行きましょ」
二人は改札に向かって歩いていった。
「お釣りは要らないわっ」 ユイはタクシーから飛び出して、駅の構内の中に走り込んだ。
日曜の昼過ぎと言う事もあり、あまり人気の無い構内をユイは走っていた。
ユイは緑の窓口に駆け込み、男女の子供二人が来なかったかを問合わせた。
「今日は暇なんで、良く見てましたよ 確かに5分ぐらい前に子供の二人連れが来てたよ」
「どの電車に乗ったか解りますか?」 ユイは必死になって問いかけた。
「5分ぐらい前だから……13時12分発第二新東京行きですね」 ユイは礼もそこそこに
窓口を離れて時刻表を凝視していた。 「13時20分の電車に乗れば追いつけるわね」
すでに18分になろうとしていたので、ユイは慌てて券を買って改札に向かって走った。
「ここから、どれぐらい歩けば着くのかな……」 「ヒカリちゃんに聞いたけど、かなり
歩いたって言ってたわよ」 二人は駅のロータリーの中央に遊園地の看板があるのを見つ
けて、バスを避けて看板を見に行った。 「あ、あそこだね 見えてるから迷わないんじゃ
無いかな…… 行こうよ」 二人は現在地から遊園地のある方向を地図で知り、その方向を
見ると、大観覧車が見えたので、シンジはアスカと共に、8月の終わりとは言え、アスフ
ァルトの照り返しで遠くに陽炎が見える道路を遊園地目指して歩き始めた。
シンジ達が見ていた大観覧車……得てして対象物が大きすぎると、距離感を間違えるもの
だ……
「暑いわね……シンジは帽子持って来たかしら……」 ユイは駅から出て呟いた。
「どれぐらいの所にあるのかしら……あっ」 ユイはロータリーの中央の遊園地の看板を
見つけて駆け寄った。 「車で15分……徒歩だと40分……結構遠いのね……送迎バス
が15分置きか……」ユイは送迎バスを待つ事にした。
7分程で、バスがロータリーの中に入って来たので、ユイはバスに乗り込んだ。
5分程駅の前に止まっていたが、やがてゆっくりと動きだした。
「電車の到着時間が8分差で、シンジ達も送迎バスに乗ったのなら入り口で会えるかしら」
ユイは腕時計を見て呟いた。 バスに揺られている内に眠くなりうたたねを初めていた。
「シンジ……まだ着かないの?20分ぐらい歩いてるのに……」 アスカは少し不安そ
うにシンジの方を見て言った。 「うん……見えてるから、道は間違って無いと思うけど」
シンジは彼方にある大観覧車を眼を細めて見た。
「ちょっと休憩しようか……」 シンジはジュースの自動販売機を見つけて言った。
「そうね」 二人はジュースを買い、少し高い歩道に腰をかけてジュースを飲んでいた。
その二人の前を黒い排煙を上げてバスが通り過ぎて行った。
「けほけほ 酷いなぁ……アスカ大丈夫?」 シンジは心配そうにアスカの方を向いた。
「うん……」 アスカは眼に煙が入ったのか、眼を擦っていた。
「シンジ達を見つけなきゃ」
ユイは送迎バスを降りるやいなや、ゲートの方に向かって走って行った。
「すみません 8歳ぐらいの男の子と女の子の二人連れが来ませんでしたか?」
ユイは券売機の所にいる職員に早口で問いかけた。 「今日は日曜だから、子供連れのお
客さんも多いし、わかりかねますねぇ」 職員は少し考えてからそう答えた。
「すみません 子供を探したいんですけど、入場だけの券ってあります?」 ユイは財布
を取り出して言った。 「すみません 入場だけの券は無いんです 全てフリーチケット
制で、入園の際に全てのアトラクションの利用の出来る券を買っていただく事になってる
んです……なにしろ、人件費がかさみますもので……」
職員の言葉に呆然としつつも、ユイはお金を出して、成人の料金を支払った。
「あの……もしここに二人連れの子供が来てお金が足りないような素振りをしたら、私の
携帯を鳴らして貰えないでしょうか……」 ユイは名刺の裏に携帯の番号を書いて職員に
手渡した。 「はぁ……預かっておきます」 職員は気の無い返事をして受けとった。
「シンジ どこにいるのかしら」 ユイは遊園地の中をきょろきょろしながら歩いていた。
「疲れちゃった……もう歩けないわよ……」
「僕も……1時間近くも歩いてるのに、大観覧車は大きくならないし……」
「だけど……こうしてシンジと歩けるのも後3日しか無いのね……」
アスカは肩で息をしながら呟いた。
「アスカ……」 だが、シンジはアスカの方に振り向かずに呟いた。
「ど、どうしたの?」 不審そうにアスカはシンジに問いかけた。
「あれ、いりぐちじゃ無いかな……」 シンジはゲートを指差した。
「ホントだ! さ、シンジ行きましょ」
アスカはシンジの手をぐいぐい引いてゲートに向かって走って行った。
「ちょっ 待ってよ……もう歩けないんじゃ無かったの? まぁいいか……」
シンジは足が我慢出来ない程痛くなっていたが、必死になってアスカについていった。
「うわぁ 凄いね……」 ゲートの左右にもゲームセンターや、おみやげ屋が並んでおり、
ゲートの向うには、海賊船や色とりどりの木馬が踊るメリーゴーランドや、ジェットコー
スターに映る夕陽の反射がまるで僕らを手招きするかのように見えた。
「さ、早く行きましょっ シンジ!」
「うんっ」
僕らはゲートのある券売機に向かった。
「入場券と1000円分ぐらい券を買おうよ」
僕は一昨年の誕生日に買って貰った財布を取り出しながら言った。
「シンジ……入場券ってのは無くて、どの乗物に乗ってもいい券しか無いみたいよ……」
アスカは料金表から視線を外して言った。
「いくらなの?」
「子供一人2000円だって……大丈夫?」
「じゃ、二人で4000円?ちょっと待ってね……」 僕は慌てて財布の中身を確認した。
500円玉が二枚……これはおばあちゃんのお家に遊びに行った時に、
一回500円づつくれたお金だ……100円玉が24枚……一日100円の小遣いで
使わなかった時に入れたお金だ……50円玉が5枚 10円玉が6枚5円玉が二枚……
途中で切符とジュースを買ったけど……これがイワトビペンギンの貯金箱に入ってた、お
金の全てだ……3720円……4000円には足りなかった……
「いくらあるの?」 アスカは心配そうにシンジの手元を覗きこんだ。
「3720円……足りないんだ……」 シンジは財布を手に持ったまま手を震わせていた。
「私……帰りの電車賃二人で500円……それ以外だと……150円しか無いよ」
アスカもここまで来て、料金が足りない事が確実となった事を知り、愕然としていた。
「僕はまた来れるけど……アスカは来れないでしょ……僕 外で待ってるから、アスカだけ
遊んできなよ」 シンジはそう言って2000円分のお金を分けようとしていた。
「シンジのバカ! 一人で遊園地で遊んでも面白く無いわよ……私は最後にシンジと一緒に
遊んだり、お話しがしたかったのよ……一人で入るぐらいなら、二人で別の遊びをした方が
ましよ……」
「アスカ……ごめん……中には……入れないけど、ゲームセンターもあるしおみやげ屋さん
もあるし……二人で遊ぼうよ 一緒にお話しもしようよ……普段アスカとお話ししてると、
みんなが”男のくせに女と話してる”なんて言うけど……今日は邪魔されないしね……」
最近学校であまり話さなくなっていた理由までシンジはぽつりぽつりと語り始めた。
「わたしの事……嫌いになったからじゃ無かったのね……シンジ……うれしい……」
「じゃ、行こう!」
アスカはシンジに手を引かれながら、涙を指で拭っていた。
その頃……
「シンジ〜 アスカちゃーん どこなのぉ〜」
ユイはメリーゴーランドの鹿に乗りながら、シンジとアスカの名前を呼び続けていた……
結構楽しんでいるようである。 もっともユイに言わせたら”元を取る為”なのだろう。
「ねぇ ちょっとちょっと そこで子供二人が財布の中を見て真っ青になってたわよ……
もう帰っちゃったみたいだけど……あなた頼まれたんじゃ無かったの?」
「え? ごめん……うとうとしてたみたい……まずったなぁ……まぁいいか」
職員はユイの名刺をゴミ箱に放り投げた。
「ほら、アスカ 射的だよ……取って欲しいものある?」 シンジはコルク銃を手に取り、
肩に銃巴をあてたが、少し銃が大きいのか手を伸ばして引き金に指を充てていた。
「んーあのお猿さん取ってぇ けど、無理しなくていいのよ」 アスカは上の端の段に並
んでいる、猿のぬいぐるみを指差して言った。
「よーし」 シンジは100円で5発のコルク弾を買い、銃身にコルク弾を詰めた。
小気味良い音が四たび鳴ったが、猿のぬいぐるみは段の上に鎮座していた。
小学二年生のシンジの身長では、最上段の猿のぬいぐるみを狙うと棚に当てる事しか出来
なかったのだ……
「ぼく、これを狙ってるの?ちょっと届かないわね……下にずらしてあげるから待ってね」
店員がシンジの必死の形相を見て、猿のぬいぐるみを一段下にずらし、その場所にあった
景品を上にあげた。
「シンジ……頑張ってね……」
二人の祈りを込めたコルク弾は見事猿のぬいぐるみに命中した。
だが、ぐらぐらと揺れたものの、倒れそうに無く二人の顔に落胆の表情が広がった。
「あいたたた」 先程の店員が景品の乗っている棚に膝をぶつけて苦悶の表情を浮かべた。
二人が店員を見ている間に、揺れていた猿のぬいぐるみは、地球の重力に引かれていた。
「良かったね……アスカ」もうすっかり暗くなったゲート前の広場で二人はお互いを見た。
「このぬいぐるみ……シンジだと思って、向うでも可愛がるからね……」
アスカは今日の最大の戦利品を胸にしっかりと抱いて言った。
「そろそろ帰ろうか……」
二人は名残惜しくもあったが、遊園地前の広場に背を向けようとしていた。
「あっ メリーゴーランドが光ってる……」
アスカの言葉にシンジも振り向いて、アスカが指差す向うを見ていた。
メリーゴーランドは辺りの暗さのせいもあり、昼間とは別の装いを見せていた。
ぐるぐる廻る 木馬も、昼間は点灯させなかった明かりが灯り、幻想的な装いで、
夜の闇をその部分だけ削っているかのようだった。
「もう少しだけ見て行こうか……」 シンジはメリーゴーランドが見えるだろう位置に
ベンチがあるのを見つけて言った。
「……うん」 二人は残っていたお金で閉店間際の店からソフトクリームを買い求め、
メリーゴーランドの見えるベンチに並んで座っていた。
駐車場脇にあるベンチに座っている二人はメリーゴーランドの光に照らされていた。
「すみません……8歳ぐらいの男の子と女の子を見かけませんでしたか?」
ユイは二時間に渡る捜索で二人を見つける事が出来なかったので、
必死になって職員に声をかけていった。
すでに送迎バスの運転手には連絡して、二人が現れたら連絡して貰うようにしているのだ
が、不安は募る一方であった。
「先程、確かにそのようなお客様がソフトクリームを二つ買われて駐車場の方に歩いて行
きましたが」 ユイはゴミバケツをカートに載せる作業をしていている店員から情報を聞
き出し、駐車場に向かって走って行った。
「奇麗だね……」 ソフトクリームを食べおえた時のまま手にコーンを握り締めて、
シンジはメリーゴーランドを見詰めていた。
「私……今日の事……忘れないよ……シンジの事も……」
アスカはメリーゴーランドから視線を外してシンジの方を向いた。
「僕も……アスカの事……忘れないから……きっといつか……会いに行くから……」
「きっとだよ……絶対に忘れないでね……シンジ」
二人は言葉も無くお互いが手を差し伸べあい、お互いの手を固く握り締めていた。
その手が離れた時が、二人の別れの刻(とき)かのように……
二人がお互いの手を握りあっているその時……
ユイは呼吸を整えながら、二人にかける言葉を考えていた。
− 終 −
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