冷凍庫の冷気に晒されてケースの中のダイヤモンドの指輪が少し曇るのをアスカは
身動き一つせずに見つめていた。
「指輪……今日デパートにいたのはこれを買う為?」 アスカは頬を上気させて呟いた。
そして、氷柱が刺さるかのように一つの思いがアスカの心を突き刺した。
「これ、私の為なの? それとも、あの女に渡すの?」
アスカが逡巡している事など気づきもせずにシンジは深い眠りの中にいた。




最終話 「決意


謝るタイミングと言うものは確かに存在する。
それを逸脱するともはや口を聞く事さえ躊躇う事になる そんな状態に今アスカはいた。

「はぁ……」 朝御飯はシンジの部屋で食べ、おかわりまでして シンジが皿を洗っている間に
アスカはそっと溜め息をついた。

「あ、そろそろ行かなきゃ……」 今朝は学部での会議がある事を思い出してアスカは立ち上がった。
身体が重く感じるのは何故なのか……理由ははっきりしていたが認めたく無かった。
ほんのこの間まで、二人でいれば心も身体もはずんでいたのに……

「行って来るね…… シンジ」 アスカは洗い物を黙々としているシンジに声をかけて部屋を出た。


第三新東京市に戻ったばかりの頃には工事中の場所が多く大きく迂回する事になり道に迷ったが
今では市の中心部の殆どの基礎的な復興が終わっており、崩れた建材が道を塞いでいた辺りも
今では更地となっていて、再建の日を待っていた。

アスカはそんな街中を眺めながら大学に向かっていた。

「惣流先生 おはようございます」
電顕の部屋で良く合う他の学部のドクターコースの生徒が自転車に乗ったまま声をかけて来た。

「あ、おはよう 確か吉岡さんだったわね」 
アスカは持ち前の記憶力の良さを発揮して名前を思い出した。

「そうそう 最近妙な噂が広まってるんで気を付けた方がいいですよ?」
彼女は自転車のペダルから片足を降ろして、話し始めた。

「変な噂?」 

「ええ 惣流先生が若い好青年と一緒に歩いてたって噂が男共の間で広がってるんですよ
あ、惣流先生も若いから別におかしい事も無いんですけど、そういえばもう成人されたんですか?」

「あ……明日で丁度二十歳になるの」

「あら、そうですか おめでとうございます それじゃ私はこれで……あの気にしないで下さいね」
そう言って彼女は去って行った。

「誕生日……もしかしてシンジ……」 
アスカは冷凍庫の中で冷気に包まれていたダイアモンドを思い出した。

「今晩帰ったら……絶対に謝らなきゃ……」 
アスカは少し肩の荷が降りたのか、軽快な足取りで歩きはじめた。

「おはようございます」 生物工学部の第一会議室にアスカは声をかけながら入っていった。

「やぁ、アスカ君 元気にしているようだね」 会議室の上座には冬月が座っていた。
殆ど助教授の吉川氏に任せている為、学部内での会議に出席する事は珍しい。

アスカは二言三言 冬月と言葉を交わして、自主的に末席に席を取った。

「冬月学長 お忙しいのに定例学部会議に来るなんて、今日重大な決議とかあったっけ?」
仲がいいオーバードクターの女性にアスカは声をかけた。

「私も詳しくは知らないんですよ ただ吉川助教授が最近体調崩してるのか五日程休んでるので
それと何か関係があるのかも知れませんね」

そうこうしている内にお茶が配られ、会議の始まる時刻が近づいても吉川助教授は現れなかった。

「それでは定例学部会議を始める。」 議事進行役の吉川助教授がいないので、冬月が宣言した。

「まず最初に報告しておくが、 助教授の吉川君……彼が5日程休暇を取っているのは承知の上
だと思うが……彼は身体の不調を感じ、人間ドックに入っていたそうだ……そして診断結果は……
悪性の膵臓癌 だと言う事だ。 すぐ処置しないと生命に関ると言う事で、急遽松代の病院に入院
する事になった。 復帰出来たとしても半年以上かかると言う事で、本人の希望もあり、
助教授の任を解かれる事になった。」

学内の情報に詳しい人もいたが、悪性の膵臓癌とまでは知らずに皆表情を硬くしていた。

「そこでだ……急遽 次の助教授を決めねばならない……
第三新東京市に存在していた大学から統合した他の学部には助教授が複数いる所もあるし、
長年のキャリアを積んだ講師陣のいる所もある。 だが、NERV第一大学の骨幹と言って
いい、この生物工学部は成立が復興後と言う事と機密保持の為に必用最低限しかいなかった。
吉川助教授には本来教授としての私の役目までもを担って貰い、その上での過労が原因と
なったかと思われる。
そこで、今回から助教授を二人任命する事とする。 一人は学部内や学内の調整に長けた人物
もう一人は研究や指導を事実上リードしていく人材を登用したい。」

冬月の言葉に会議室にいた全員は声の無いざわめきをあげた。

「学部内・学内の調整としての助教授として、現在MITに留学中の清水氏にお願いするつもりだ。
だが、彼は留学と言う事になってはいるが、実際はS2機関の研究グループのまとめ役をしている
ので、帰還はまだ先の事になるだろう。 それまでの間はもう一人の助教授の奮発を希望する所だ」

研究や指導を事実上リードしていく人材と言う言葉が出た時から、ちらほら視線がアスカに集まって
来たのをアスカは感じていた。 そして、先程の冬月の言葉が終わると同時に、今度はアスカの
指名される瞬間を見るかのような期待の篭った目でアスカを見つめているのに気づいた。

「彼女を生物工学部に招聘したのは、近い将来生物工学部を引っ張って行く そういう役所を
期待しての事だった。 いきなり助教授扱いで招聘する事も考えたが、彼女の実力をその目
で見ない限り、納得がいかない方もおられるだろうと思い、敢えて講師待遇でお迎えしたのだ。
今や彼女の実力 そして人間性を疑う者はこの中にはいないだろう。
惣流アスカ君……宜しく頼むよ。」
冬月が言い放った途端、会議室に拍手の渦が巻き起こった。

アスカは複雑な心境で立ち上がり、コメントを言った。
「私はこの中にいる誰よりも若く、生物工学部の発展にどれだけ寄与出来るのかは分かりませんが、
皆さんの記憶に新しいあの悲劇……あのような事が起らないようにする為にもこれから生物工学部
の研究は重要になるでしょう。 あの事件の当事者の一人として、この研究をするのは使命だと
思っております。 皆様どうか宜しくお願い致します。」

ほぼ時を同じくして、シンジとアスカが同じような言葉を述べたのは偶然では無いだろう。
自らに課せられた使命を素直に受け止める事が出来るようになったのも、
二人が4年の歳月を越えて再び触れ合う事が出来たからなのかも知れない。


重要な決定はそれだけで、後は淡々と会議が続いた。

だが会議が終わっても会議室から出る人はいなかった。
皆口々にアスカにお祝いや激励の言葉を捧げたのであった。

それらが一段落した後、冬月が少し険しい表情で近づいて来た。
周りに誰もいないのを確認して、冬月は口を開いた。

「この件は来週の学部会議で学内全体に発表される事になる。
それまでの間に……その 身辺上の整理をしておきたまえ……」

「身辺上の整理……ですか?」一瞬アスカは何の事を言われているのか理解出来なかった。

「君たちの事情は良く分かっているのだが、立場上は教師が生徒に手を出したと言う事に……」

ようやくアスカは冬月の言わんとする事が掴めて顔を蒼白にした。

「別に別れろと言うつもりは無いが……シンジ君が大学を卒業するまで……その 何だね
半同棲生活みたいな事だけは謹んで貰えんかね? 君かシンジ君の転居先ならすぐ準備出来るし」

だが、その言葉はアスカの耳には入っておらず、別れないといけないと言う思考が渦巻いていた。


一日の間 冬月の言葉が頭の中で反響していて、集中力を少し欠いたアスカは、
少しうなだれて大学の門を出た。
その姿を見て、来週には学部会議で生物工学部の助教授として承認される、新進の研究者だとは
誰も思わないだろう。


アスカは自分の部屋に戻り、部屋の隅で膝を抱えて考え事に耽っていた。
(-_-)
(∩∩) こんな感じで

半時間程思考のループに陥っていた時、いつの間にかシンジが帰宅していたのか台所の換気扇
が舞う音がしたかと思うと、カレーの匂いが漂って来ていた。

「男に料理作らせて自分は料理しないなんて……ほんとに駄目女よね……」
アスカはドイツでの四年間を思い出していた。
必死に料理の練習をしたものの手に切り傷を作るばかりで殆ど上達せず、どうせ結婚とかしないし
とか言って自分をごまかしていた事を思い出してアスカは苦笑した。

その時、アスカの部屋の扉がノックされて、シンジの声が響いて来た。
「アスカ いるんだろ? カレー……作りすぎたから 食べに来なよ」

喧嘩しているのに、自分の事を気づかってくれるシンジにアスカはどう報いたらいいのか
分からず、アスカは涙を流した。


だが、カレーの匂いは段々強くなって行き、腹が可愛い鳴き声を上げる頃には、
アスカは我慢出来ず、シンジの部屋に向かっていた。
餌づけされとるのぉw

アスカは控えめにシンジの部屋のドアをノックした。

「どうぞ」 少し遅れて台所の方からシンジの返事が帰って来たので、
アスカはシンジの部屋に足を踏み入れた。

「もう出来るから、座って待ってなよ」
まるで喧嘩していたのが嘘だったかのようにシンジは皿にご飯を盛りながら言った。

「ありがと」
だが、良く考えてみれば一方的に誤解したのは事実だが喧嘩状態になったと言うのは
アスカの思いこみであるのだが、その事に気づかない程アスカの視野は狭窄していた。

冷水の入ったグラスと共に大盛りのカレーライスをシンジが持って来た頃には、
アスカの腹は心と裏腹に躍っていた。

少し辛目の正統的とも言えるチキンカレーをシンジとアスカは汗を流しながら食べはじめた。

十数分後……食べおえた二人は満足気な溜め息を漏らしていた。

「あのね……私 生物工学部の助教授になる事が内定したの……」

「本当に? おめでとう アスカ」
シンジは目を丸くして驚き、次の瞬間にはアスカの手を握り祝福してくれた。

アスカはシンジに手を握られているだけで胸がドキドキ(死語?)するのを感じていた。

「だけど、断ろうかと思ってるの。」 今日一日かけて考えぬいた結論であろう。

「どうして? 断る理由無いじゃ無いか 聞いた話だと、他の学部では最初から助教授待遇
で迎えたがった所もあるって事だし、何の問題も無いじゃ無いか」

「冬月学長にね……身辺の整理をしろって言われたの……私たちの事知ってるみたいで……
立場上は教師と生徒だからって…………でも、私シンジと別れたく無いの……だから断るの。」
アスカは涙をぽろぽろ流しながら、まるで親に叱られた子供が謝るかのような声で喋った。

「…………」 シンジはアスカの言葉を受け止めて、そっと立ち上がり台所に歩いていった。
そして、無言で冷凍庫の蓋を開け、眼を丸くした。
「スイカバー……何だこれ」 シンジは少し驚きながらも指輪の入ったケースを取り出した。

「アスカ……その事は僕も考えていたんだ……で、それを解決するいい方法を思いついたんだよ」
シンジは後ろ手に指輪のケースを隠してアスカに話しかけた。

「いい方法?」
アスカは涙で濡れた、まるで小動物が飼い主を見るかのような期待の篭った瞳でシンジを見つめた。

「結婚しよう……アスカ それなら何の問題も無いだろう? 明日で君は成人するんだし、
来年には僕も成人する……学生結婚だってちらほらいるんだし、別に教師と生徒が結婚しちゃ
いけないって事も無いだろう?」
シンジはそう言って指輪のケースをアスカに手渡した。

「これ……私の為だったの?」 アスカはシンジを誤解していた事を心から悔やんだ。

「当たり前だよ 指輪を渡すような相手はアスカしかいないよ。
 そんな不実な男だと思ってたのかい?」

「ありがとう……シンジ…… あっ」 アスカはその瞬間何かを思い出した。

「どうしたの?アスカ」

「その指輪見た時に驚いて、スイカバーを冷凍庫に置いたままだった。」

「やっぱりアスカが置いたのか……なんだ 知られてたのか……格好悪いな」

「私も見た証拠を置いてきちゃった……格好悪いね…… ね、後で食べよ シンジ
証拠湮滅よっ」 いつの間にか指輪を左手の薬指に差していたアスカはシンジに抱きついた。

「ちょっ……アスカ ちょっと待ってよ」
抱きついてキスを求めるアスカを見てシンジは狼狽えた。
今日は何の打ち合わせもしてないので、下の階にトウジがいると思われるからだ。

「その為の結婚でしょ? 誰に後ろ指差される事も無いのよ」
アスカはシンジの言わんとする事に気づいて微笑んだ。


   劃して二人のレールは交わり、運命を共にする事になった。
   彼らはもう終末の影に脅える事も無いだろう。
   そして、終末に終わりを告げた二人には輝ける未来しか残っていなかった。


最後には甘LASもどきになってしまった まぁいいや




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最終話 終わり


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